現在を知る 認定特定非営利活動法人カタリバ 東北復興事業部 女川向学館 川井裕子さん

『安定した東京生活から女川町へ』~かけがえのない子どもたちの成長の瞬間

「かわさん」そんな愛称で子どもたちから親しみを込め呼ばれ、毎日子どもたちに囲まれた
生活を送る川井さん。「震災という辛く苦しい試練を乗り越えた子は、誰よりも強く
優しくなれるはず」というコラボ・スクールの理念に共感し、女川へ移住してきて
早3年が過ぎた川井さんに今感じている想いを語っていただきました。取材日:2016年2月26日

「彼らと一緒に過ごしたい」と決断。心が揺さぶられた出来事

川井裕子さん インタビュー画像1 ― どうして東京から女川向学館で働くことになったのか
教えてください
千葉県で生まれ育ったのですが、石巻は母親の実家があったので子どもの頃、良く遊びに来ていました。しかし、東日本大震災で思い出がたくさんつまった石巻が大きく変わってしまったのはショックでした。 「東北復興に関わる仕事がやりたい」という思いから、転職活動を行っていたところNPOカタリバの宮城県女川(おながわ)町『コラボ・スクール「女川向学館(こうがくかん)」』の仕事に出会いました。東日本大震災の被害が特に大きかった町のひとつ女川で仮設住宅などの暮らしのために落ちついて勉強ができない子どもたちに学習指導と心のケアを行う仕事でした。
しかし、それまで一般企業でしか働いたことがなかったので、移住してNPOで働くことはハードルが高く感じていました。
そんなある日、女川の中学生が女川の須田町長や議員に向かって、1000年後の命を守るための防災案(※)を提案している場面に立ち会いました。こんなつらく苦しいことがあった場所で、前を向いて進んでいる子どもたちに出会い、「女川の子どもたちと女川で過ごしたい」という気持ちが生まれました。彼らとの出会いが、私がここで働くことを決断させてくれました。 ※いのちの石碑プロジェクト
1000年先まで記憶をのこそう。宮城県女川町の子どもたちが考えた『町にある21の浜の、津波が襲って来た高さの地点に石碑を建てる』プロジェクト

子どもたちから学ぶ自分の可能性を信じる力

川井裕子さん インタビュー画像2 ― 思い出深い出来事を教えてください 子どもたちって、私が想像していたよりも小さいころから、自分の限界を決めてしまっているんですよね。「私はどうせ無理」と言って挑戦ができないことがあります。でも、こちらが『できると信じていること』を根気よく伝え続けると、挑戦する気持ちが生まれ、何度もあきらめずに挑戦し続けると、いきなり子ども自身が成長を実感できる瞬間があるんですよね。その『成長の瞬間』に立ち会えるのは本当に嬉しいことです。 もちろん、子どもたちの日常をサポートする中で、子どもたちの毎日の成長に事細かに気づききれないこともあります。しかし、年に何度か女川の町の外の人たちと交流する機会があるのですが、そうした非日常を体験すると子どもたちは『ググー』と目にみえて成長するんですよね。 2015年夏にフランスのパリで子どもたちが東北の魅力をアピールする機会がありました。「女川の魅力って何だろう?」子どもたちは改めて住み慣れた女川の町の魅力は何なのか、みんなで話し合いました。何度も話し合いを重ねて見つけたのが『ふるさと』です。「生まれ育った女川の町は、復興工事をしていて風景がドンドン変わっていく中で『ふるさと』って何だろうね」、「風景は変わるけど、あたたかい心を持つ女川の人たちが『ふるさと』、だから『ふるさと』は自分たちの心の中にいつもいる」と子どもたちが自分たちで答えを導き出しました。

川井裕子さん インタビュー画像3 実は私自身があまり『ふるさと』というのを持っていなくて、子どもたちの話を聞いていてうらやましかったです。心の拠り所を持っていると、ここまで強くなれることを子どもたちから教えてもらいました。 その『ふるさと』を伝えるために行ったのは『さんまDEサンバ(※)』です。『ふるさと』についてのインタビューと『さんまDEサンバ』を踊る町の人たちを動画撮影して、自分たちの『ふるさと=女川の人たち』とのつながりをパリで発表し世界の人たちに伝えました。 こうした成長する場に立ち会うと、人って誰でも成長する可能性を秘めているんだと実感します。私自身が「自分の可能性を信じ切れないこと」があったりするのですが、子どもたちをみていると「自分の可能性を信じて一歩踏み出そう。思い通りの結果が出てなくても意味がある」ことを思いださせてくれました。だから、私は女川の子どもたちに『何かしてあげてるという気持ちは一切なく、一緒に混ぜて欲しいな』という気持ちで接しています。 ※さんまDEサンバ
女川名物さんまの大漁を祈る『さんまDEサンバ』は15年ほど前に作られた踊りで町のお祭りや運動会でみんなに踊られてきた女川の人たちにとってお馴染みの踊り

女川の子どもたちの未来を一緒につくる

川井裕子さん インタビュー画像4 ― 今後やりたいことを教えてください ひとつは引き続き、『今の女川の町が必要とすること』をやることです。今はまだ町民の4割が仮設住宅で暮らしている人たちがいて、子どもたちが歩いて登下校できなかったり、勉強や部活を満足にできる場所があまりない状況です。
でも、今後復興が進むとまた歩いて登下校できるようになってきます。そうすると必要とされることは変わってくるので、町の人たちの声を聴きながら、考え行動していきたいです。
あと『子どもたちが自分の未来の可能性にワクワクできるきっかけ作りをもっとやっていきたいです。今までテレビ電話を通して、ネイティブスピーカーと一対一で英会話をする『Skype英会話』や自分が気になることを自分にできることから行動していく地域や社会のためのプロジェクト活動『マイプロジェクト』などを行い、未知の世界に出会い、成長していく子どもたちの姿を見ることができました。今後も、コラボ・スクールだからこそできる『子どもたちが自分の未来の可能性にワクワクできるきっかけ作り」を行いたいです。

女川に来て、感じたことを伝えてください

川井裕子さん インタビュー画像5
川井裕子さん インタビュー画像6
― みなさんへメッセージをお願いいたします 東日本大震災で天と地がひっくり返るようなことがおこった女川ですが、商店街が昨年の2015年12月に完成するなど少しずつ復興してきています。
しかし、宮城以外の場所で女川の情報が発信される機会は減ってきています。「ぜひ、女川に来てください」そして、見たり聞いたりしたことを身近な人に伝えて欲しいです。来て感じることは「思ったより復興が進んでいる、進んでいない」など人それぞれだと思います。
また、子どもたちは勉強する場が無く、クローゼットを勉強する場にしている家庭があるぐらい、まだまだこの活動は必要とされているので、温かく見守ってもらえたらと思います。そして私たちがどういった活動をしているか知って共感してくれたら、応援してもらえると嬉しいです。これからも頑張っていけます。

取材・撮影
櫻庭伸也

プロフィール

川井裕子

認定特定非営利活動法人 カタリバ 東北復興事業部 女川向学館
大学卒業後、東京の自動車関連企業に勤務。2012年2月よりNPOカタリバの職員として、
女川向学館に勤務。現在女川町在住。