現在を知る 南三陸町観光協会 交流促進部門チーフ 及川和人さん

『足を運ぶだけで生まれる価値がある』~南三陸町の観光から考える

東日本大震災から1ヶ月後に『福興市(ふっこういち)』のイベントを実施することで
多くの笑顔が生まれると同時にそのスピード感などから注目を集めた南三陸町。
この土地で生まれ育ち、観光業で盛り上げている及川和人さんに
その想いを語っていただきました。取材日:2016年2月24日

全壊した自宅で太陽とともに生きる生活のはじまり

及川和人さん インタビュー画像1 ― 東日本大震災が発生した当時のことを教えてください 日頃から『大きな地震があったら津波が来るので避難する』といった訓練をしていたので、当時の事務所は海から100mと近い距離にあり、あまりにも大きく異常な地震だったので「これは大変だ!」と感じて、みんなでいち早く高台へ避難しました。
その後、指定避難場所の中学校の体育館で避難生活を2泊行った後、山を越えて自宅に戻りました。南三陸町の多くの住宅は全壊し、住むことはできなかったのですが、私の自宅は珍しく1階だけの被災で2階は無事でした。
当時、電気・ガス・水道などインフラとよべるものは何も復旧してなかったので、太陽が昇ったら自宅や地区のガレキを撤去する作業を行い、太陽が沈んだら寝るという生活を2階で寝泊りしながら行っていました。
仕事は観光業に携わっていましたが、当時の南三陸町の状態は誰がみても観光どころではないのは明白なため、いつ観光できるか誰にもわからない状態でした。組織的にもそういった状態で人材確保しつつの事業継続は難しかったので「一旦職を離れる状態になる」と言われました。つまり全員解雇でした。

「これからも町の人たちと一緒に歩んでいきたい」と感じたイベント

及川和人さん インタビュー画像2 ― 震災発生から一ヵ月後という早いタイミングで実施した
イベントについて教えてください
2011年4月に「福が興る市」という願いが込められ命名された南三陸『福興市(ふっこういち)』が実施されました。
スタート当時は、イベントで売るもの、ライフライン、テントや機材も無い中で全国の商店街や企業、ボランティアの方々の助けで開催しました。外の人たちに物を売るという役割より、地元の商工業者が元気で、前向きな姿を見せること、そしてイベントに来た地元の人同士がそこで無事や安否を確認したり、避難場所を教え合う場所になりました。
今でも町の人や企業やNPOやボランティアの方々みんなが一丸となり創り上げているイベントでワカメ、牡蠣、ホタテなど様々な海の旬の美味しい食材を扱っています。ほぼ毎月1回のペースで実施していて平成28年2月の開催で54回目を迎えました。最大で2万5千人のお客さんを集めたこともあり『南三陸町の元気の源』になっています。

及川和人さん インタビュー画像3 他の自治体から「どうやってこんなに早く『福興市』を実施できたのか?」と質問されることが多いのですが、南三陸町は震災以前から地域の人が主体的に活動しイベントを実施する町でした。そのためこのイベントも町の人が主体的に「やりたい」「やるんだ」と声を上げ、開催されたイベントであり、震災以前から培ってきた地域の力で実現したものです。他にも自分の震災体験を聞いてもらう『語り部』の活動など各種イベントを町の人が主体で実施しました。 2011年の5月末、観光協会に再雇用され業務を再開しました。「地域で昔から行われている夏の花火をこういった状況でも、地域の子どもたちに見せてやりたい」「なんとかなる、なんとかしよう!」そんな声が町民有志から生まれました。開催資金の確保には町外から企業支援が入ったり、多くの関係者と調整する必要が生まれてきたので、それを観光協会が業務として行っていくことになりました。
思い返すと、この頃が一番しんどく、苦しかったです。自分の暮らしもままならない状況の中で、今まで前例がないことに向き合い進んでいくというのは心身共に負担が大きく本当に大変なことでした。

及川和人さん インタビュー画像4 「未だに町がガレキで埋もれている中、もっとやることあるだろう」といった反対する声もあった花火大会でしたが、「子どもたちのために」というみんなの思いで多くの方々の支援を受け実施することができました。当時は避難所暮らしをしている人、町外に避難している人など家族がバラバラで暮らしている人たちがいましたが、この日は家族一緒に花火を見ていた様子がとても印象的で忘れられません。「この町の人たちと一緒にこれからも歩んでいきたい」と心から感じました。

震災があったからこそ気づいた新しい価値

及川和人さん インタビュー画像5 ― 印象的な活動を教えてください 色々ありますが、若い世代の漁師も参加し始めた『漁業体験』でしょうか。以前まではグリーンツーリズムの一環として漁業体験を推進していたのですが、50代・60代の漁師が中心でした。この震災を契機に若い世代の漁師も積極的に漁業体験に参加するようになりました。 震災以前は「漁師は魚を獲るのが仕事であって、そういうのは観光業を担う人たちでやってれば良い」だったんですよね。
しかし、震災後は、すべての地区に支援者やボランティアの方々が訪れました。田舎ならではの閉鎖的な地区や人でも外の方と接点を持つしかない状況でした。でもその結果、外の人たちと触れ合うことで、自分たちの地域や生業を褒めてくれたり、嬉しがってくれるんですよね。「こんなに美味しい海産物をつくってるんですね!」と。今まで自分たちが獲った魚やつくったものを食べている人と接したことがなかったので、直接言ってもらえることは、とても嬉しいことでした。
以前は新聞やテレビなどマスメディアが向こうから来てくれましたが、震災発生から5年という月日が流れ、復興特需的な来町者は減少しています。今現在、地域にある産業や地域の皆さんの活動を魅力的なパッケージにして発信して人を呼んでいきたいと考えています。観光業の分野からこの町の復活に関わっていきたいです。

「来ていただくだけで」自分たちの価値を再認識することができる

及川和人さん インタビュー画像6 ― みなさんへメッセージをお願いいたします ボランティア活動でなくとも「商店街にご飯を食べに来た、仙台まで来たから少し寄ってみた」どんな目的でも良いので南三陸町に足を運んで魅力に触れてほしいです。もちろん観光でお金を落として欲しいというのもありますが、足を運んでもらえるだけで嬉しいです。 「本当に足を運ぶだけでいいの?」と思われるかもしれませんが、食べてもらって「美味しい」とか、来てもらって「良いところだね」と言われると『自分たちがやっていることや住んでいる町は価値があるんだ』と自分たちの地域の価値を再認識し、取り戻すことができます。『ここでこんなことをやっていて良いんだ』ってね。 また足を運んだことにより、何かのキッカケでつながることもあるし、ここに住みたいと思うかもしれないし、プロジェクトを立ち上げるなど、次につながる第一歩がはじまるかもしれません。
最近は「こっちから行きます」というイベントを各地で実施し「こっちから関係をつくりに行く」こともやっています。お互いにとって良い出会いになり、南三陸町を元気におもしろくしていきたいですね。

取材・撮影
櫻庭伸也

プロフィール

及川和人

一般社団法人 南三陸町観光協会 交流促進部門チーフ
宮城県南三陸町の出身。震災当時は海沿いの事務所におり、地域の方と避難、その後は地区のガレキ撤去などに参加。
地域では一早く語り部や震災学習プログラムがスタートし、その事務局や誘致活動、窓口機能を担ってきた。
現在は語り部の他、民泊やインバウンド、物産販売など観光・交流の面から地域再生・地域づくりを展開している。